スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

広島の旅 平和公園 E=mc2

2008.12.14 16:56|旅ノート

いつもながら・・突然ですが広島へ行ってきました

今回は大学生の娘が一緒なので、大王の親友Tさんが張り切ってナビしてくれました!

まずは平和公園へ

写真上は原爆の子の像そして原爆ドーム

土砂降りの横浜とはうってかわって晴天のあたたかい広島でした

実は、娘のために平和公園をチョイスしてもらったのですが・・

ワタクシはこちらを訪れる度に胸が苦しくなってしまいます(ノ_・。)

娘の反応が気になったのですが、音声ガイドを聞きながら淡々と見学する姿は

びっくりするぐらい落ち着いていました

「大丈夫?」

と声をかけたのですが、まったく顔色一つ変えずに冷静な娘・・・

その答えは、高校時代に取り組んだフィールドワークでの沖縄の平和学習にありました

「生活の場が戦場になった沖縄では、もっともっと凄惨な資料や映像を見てきたし、ひめゆり学徒の生存者の方の話も聞いているから」

「戦争は絶対に許せないけど、自分たちも知らないところで加害者になっている可能性もあるし・・常に時代背景やあらゆる角度から考察しないと・・。」

そうか・・・いつのまにか母を追い越していたのかとしみじみ思う。

でもね、子をもつ母親になるとまた感想は違ってくると思うよ

親友Tさんの叔母様が広島第一高女在学中に爆心地で亡くなられています

慰霊碑に手を合わせたいと平和公園から道路を渡った川沿いへ移動する

刻まれている叔母様の名前をいとおしそうになぞるTさん

同じ市内にいながら彼のお母様は倒れた家屋の下敷きになり助かったのです

原爆のあと、すぐ横を流れる本安川に彼のお母様は、妹さんが川に飛び込んだことを想像して

おにぎりを投げ入れていたそうです・・・

ただ原爆の正確な情報が入ってくると、爆心地にいた妹さんは即死のうえ爆風とマイナスの爆風で

川に飛び込むこともなく粉になってしまったことがわかり、その後はおにぎりを川に投げ入れるのは

やめたそうです

遺品もなにもないなか、10数年ほど前になるでしょうか・・

当時の校長先生が亡くなられ(校長先生は原爆投下の日は県北に出張されて被爆を免れたのでした)、遺品を整理していたご家族が、生徒のお習字を発見されて

クラスと名前が書かれていたので、NHKを通じて50年のときを経て彼のお母様の手元に戻ったのでした

それは今でも彼の家の仏壇に大切に保管されています

思わず、身近なTおじさんの家族と原爆がリンクして娘も胸がつまったようでした

慰霊碑にむかって二人で合掌をしました

「世界平和」を心から祈ります

E=mc2は、慰霊碑のレリーフの中央に刻まれているアインシュタインの核の公式です

建立当時「原爆」の文字が使えなかったためということですが、

今では、コーヒーのCMに使用されています

それを見るたびに胸が痛みます
スポンサーサイト
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
プロフィール

せがちゃん

  • Author:せがちゃん
  • 家族:マイペース大王(だぁ様)と娘1号2号、息子1人、愛犬4頭
    住所:横浜
    モットー:『Smile Be Happy!』
    趣味:ガーデニング、わんことまったりすること、ミーハー女子会
    特技:ワイン片手にフライパン!
    ≪Webstagram Album follow@segachan81≫




    楽天で探す
    楽天市場



    ブックオフオンライン
    ブックオフオンライン




いくつになったの

最近の記事

カテゴリー

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。